「キャラ化」とはいったいどのようなものなのか。
「キャラ化」の先には、いったいどのような世界があるのか。
本書では、近年様々な分野に広がる「キャラ化」について、平易な言葉で解説している。
アイデンティティ、身体、政治、経済・企業、消費など対象は幅広く、更に身近な具体例が多い。非常にわかりやすい、お薦めの1冊である。
第1章 キャラクターと日本人の精神史
日本人の生活に密接に関わってきたキャラクターは、私たちの幼少の頃の幸福な記憶に深く刻み込まれている。こうしたキャラクターとの強いつながりや幸福な関係が、その後の私たちの生活に少なからぬ影響を及ぼしていると言える。
第二章 大人も子供もキャラクターの虜
現代は極めてストレスフルな社会であるが、そのような私たちの心を支えているのがキャラクターである。私たちは、キャラクターが仮想現実下にしか存在しない作り物だと理解していながらも、強いリアリティを感じ、生きているものとして受容する。
第三章 「私」と「キャラとしての私」
インターネットで情報化された現実世界では、現実と仮想現実が倒錯し、「現実に存在する私」と「キャラとしての私」のヒエラルキーが逆転する。これが日常生活や体そのものの感覚、さらには政治、経済など社会のシステムそのものにまで影響を与えている。
第四章 拡大する「キャラ化意識」
近年、政治や経済においてもキャラが重要視されるようになり、それらは実態から乖離している。私たちはキャラ化することで「生きている実感」を回復し、「生物的なもの」に対して不快感、違和感さえ覚え始めているのかもしれない。
第五章 「キャラ」の持つ社会的存在の意味
若者はキャラ化することによって自分の居場所を見つけ、存在証明をしている。役割としてのキャラを受け入れ、コミュニケーションをいう儀式の中で「お約束」のキャラを演じなければ、自分自身が破綻してしまうのである。
第六章 消費・ブログ・ケータイ・セカイ化
全体像をあえて切り捨て、ディテールだけで再構成していく「萌え消費」は非常にキャラ的で、「iPod」や「ブログ」にも通じるデータベース型の消費形態と言える。また、ケータイ小説や「セカイ系」コンテンツ群には「私=キャラ」の肥大化が顕著に見られる。「人格・のようなもの」として存在するキャラの持つ自由さが、私たちの憧れる「キャラ的リアル」である。
(文責:廣井)
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