『game++(げーむぷらぷら)4』レポート3
パネルディスカッション 新清士氏・ディスカッション【野々垣・三浦・奥村】 |
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■IGDAチャプターコーディネータ新清士氏
新清士氏はご自身が所属されているIGDA(International Game Developers Association)について、その成り立ちを追いながら、NPO(Non-Profit Organization)としてのIGDAが日本で活動することによってどのような意味を持つかということを、今回のディスカッションのテーマである人材育成に絡めてお話し下さいました。 IGDAの前身はクリス・クロフォード氏と20人のPCゲーム開発者により設立された組織で、1985年に初めてのGDC(Game Developers Conference)が開催されます。GDCの巨大化に伴い、1993年にはGDCの運営権を英CMPに売却、IGDAはNPOとして再組織されるに至り、2000年の組織再編による制度の確立を経て、当初500人だったGDCの参加人数が現在は1万人に、チャプター(地域支部)も50を超えるという急激な発展を遂げ、「オンラインゲーム白書」の刊行等の成果を挙げているということでした。 このようなIGDAの変化について新氏は、「ボランティアと非営利の精神」というNPOの基本ルールと、「IGDAメンバーであるという理由だ |
けで、世界中のどこでもゲーム開発者コミュニティに接触することができる」という非常にオープンソース的な特徴(GDCでは発表者が今まさに開発中のゲームの技術や情報を隠さず語ることは珍しくないそうです)によって、IGDAという組織自身が世界に向けて広がっていく可能性を秘めていることを述べられました。 その上で、日本のゲーム産業について、今日のゲームの技術とニーズの多様化に対応するのは安易でないこと、またゲーム開発者の雇用形態の変化や、企業同士でゲーム開発の技術等が秘密保持の方向で扱われるような状態にあることで、企業が人材を育成する余裕がなくなってきていることを指摘されました。 今後の日本でのゲーム開発においては、英語圏における情報を仕入れ、日本が持つ技術を伝える方法の確立や、MIT等ですでに始まっている、ゲームを学術分野のひとつとして捉えることの必要性を話され、IGDAが日本と世界をつなぐ窓口として活躍出来るであろうとのことでした。 IGDAのイベントの様子を写真にて紹介して下さり、最後の件ではIGDAの参加を呼びかける形で新氏のプレゼンテーションは幕を閉じました。 |
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