ゲームぷらぷら2 セッション2 「遊びとインタフェース〜インタラクティビティとしての可能性〜」【福田】 |
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ブロック毎に分け、テレビ番組のアタック25のようにクイズによる陣取りという形で、より興奮や発見を促すようなものを提示する。これによって直ちに観光が活性化するというわけではないが、地域の持つメモリーや若い人たちにも楽しみを共有するための新しい形がないといえる。
地域のコミュニティのあり方について遊びとインターフェイスの要素をとりいれることによって、現在の観光の問題点を指摘し、インターフェイスの有効性についても再確認させられた内容でした。 ■藤幡正樹先生 このセッション最後のパネラは、インタラクティブアーティストとして先駆者でもある藤幡正樹先生に2つの作品の紹介とともにお話していただきました。 インタラクションは次のように3つのかたちに分ける事が出来る。一つ目はスイッチをつけることによって電灯がつくといった「電灯スイッチ型」であり、多くのものはこの応用型であるといえる。2つめは、マックやウィンドウズのデスクトップ上で行なわれる「WIM(Windows Icon MousePointer)型」だ。デスクトップのメタファはイメージがイメージであるというだけでなく、オブジェクトでもあるというものだ。つまりイメージがインタラクティブにマニュピレートされたときオブジェクトになるということだ。3つめは自立してるプログラムや、装置に自分が介入 |
するといった形のものだ。例えば、AIBOに対して自分が介入する事や、カメラにとってカメラマンは撮影、現像といったカメラのもつシステムの一部になっているといえるというようなことだ。コンピューターでアプリケーションを扱う場合にも動揺のことがいえる。記号学という観点からいえば、意味といったものが伝達されるときに、新しい意味コードの生成に立ち会っえば人間は興奮を感じる。そういうとき人々は、自分と相手の意味コードの照らし合わせを行なっている。例えば、小説を読むとき主人公に感情移入する時も、主人公のもつ意味コードとの照らし合わせを行っているといえる。そのために小説を読むには教養がいる。教養が意味コードの照らし合わせをアシストしてくているのだ。ここで、教養、文化によってサポートしていたものをインタラクティブなインターフェイスによって、よりサポートする事が出来る。メディアの設計、関係性を新しくするということも今後は非常に重要な表現形態であるといえる。 インターフェイスの要素や重要性についてのお話でした。コンピューター上でのインターフェイス、アプリケーションの重要性をより深く考えさせられました。 直接ゲームに関わりのある人たちではなかったものの、3人の先生方の作品それぞれにゲーム的な要素が含まれていて、コンピューターの持つインターフェイスの可能性は大きく、テレビゲームの持つ可能性も非常に幅広いだと感じる内容でした。 |
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