デジタルアーカイブ・ビッグバン京都'98
セッション」 『京都のデジタル新世紀』
【福井】

ルアーカイブについて
 ・デジタルアーカイブをどの様にして活かすかという事について
 ・デジタルアーカイブとリアルな世界の共存について

 どれもが答えの出ない論点でありましたが、議論は白熱していました。 この3点に共通する議論としてある、モノの奥にある情報の価値の伝達手段という命題には興味をそそられました。
 技術的・制度的な手段において解決できる部分も多少あるでしょうが、そのコンテンツをいかにアーカイブ化するかという事に大きく左右されるのではないかと感じました。

 3日間行われたこのデジタルアーカイブ・ビッグバン京都'98の閉会式において、実行委員長の稲盛和夫氏が読み上げられた「デジタルアーカイブ京都宣言」では、「新しい記憶の大地」「新しい文化と知の大地」という言葉でデジタルアーカイブの可能性をなぞらえられていました。
 しかしながら振り返って考えてみると、発表や同時に行われた展示の中に見た技術の素晴らしい飛躍に対して、アーカイブ自体に関しては一線を画した作品が出てきていなかった様な印象を受けました。
 京都という都市は、文化の積み重ねからしてコンテンツの宝庫と自他共に認められているにも関わらず、使い方という価値を忘れてしまっているのかも知れません。
 使い方という価値を創発させうるツールとなり得るかどうかが、デジタルアーカイブが発展するか否かの分かれ道になるのではないかと思いました。

 最後に、今回のデジタルアーカイブ・ビッグバン京都'98を見に行った感想のまとめとしては、コンテンツ自体についても、著作権などの問題についても、理想と現実の狭間でどの様に揺れ動いているかという、現状認識の視点に立ったものが多かったのが少し残念でした。
 それだけでなく、理想自体がどの様なモノであるか、現実的にはどこまでできるのかという視点での議論がもう少し多ければ、アーカイブの可能性を引き出すような議論が出来たのではないかと思いました。
 どこに問題点があるかは、様々な方が代わる代わる繰り返し述べられたので再認識させられましたが、結局その問題は解決できるのかどうか、その足かせがなくなった時の未来像のイメージについてはあまり話されなかった様に感じます。
 また、「歴史と文化の京都」について語られた側面が大きく、私達GAPの活動に直接的にプラスになる面白いお話がほとんどなかったのは残念な限りでした。
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